第五話『邪神はふたたび』(後編)

四方津神社の社務所

「あぁ…、そうじゃ、……なぁに、五百部くらいすぐにさばけるテ。……」

受話器を手に話し込む神主タウエ老人。

「……、おお、それじゃ、大急ぎで頼んだよ」

電話の相手は、町内の印刷所だ。四方津神社に伝わる古文書「前代過事本紀」は、戦後になって初めて活字化され、氏子や研究者に頒布されていたが、それをおよそ三十年ぶりに増刷しようというのだ。

その脇の事務机では、タウエ老人に呼び出されたモモタ・ヒカルが、記憶を頼りにウルトラマスカ、デビューボ、ギョヘテの三面図を描いている。

「どうだね、できたかね」

「ええ、こんな感じで、どうでしょう」

「どれどれ…、よしよし、よく描けとるじゃないか。……さっそく、造形師に送らねば」

「…それ、どうするんです」

「ナーニ、何れ君にも分け前をやろうから」

タウエ老人はしたり顔で用紙を封筒に詰める。

──………

ナガハラ・ハルカは茫漠とした湯気の中を漂っていた。

──………

頭の中枢にも湯気が漂っているような気がする。湯気の中に自分がいるのだか、自分が湯気なのだかわからなくなってくる。

──………

ふと、気付くと、床に足がついて、目の前に鏡がかかっている。全身を映すには小さい、水滴でぼやけた鏡。

──………

鏡に映った肌色の像に輪郭を見つけようと目をこらす。──どんなかたち? どんなからだがいい?

──………

ヒトの肉体は常に変化する。ハルカの体は、まだ成長の途中だ。胴は丸細いし、鎖骨も伸びきっていない。

──………

ハルカは右手を広げて胸のあたりをはたいてみた。小さいけれど、たしかに丸みのついた腫脹がある。ふいに、あの暑かった日にコバシ・ケンが下敷きを団扇にあおいでいたその胸板が思い出されてきた。

──コバシの弟になりたいなぁ………

そんな考えがわいてきた。

──………

コバシ・ケンはいかにも男性的な筋肉をまとっている。他方、男子といっても、肥満児もいれば、枯れ松みたいな者も、女の子みたいなやつだっている。

──畸形だとしても、その列の末席に受け入れてもらうことはできないのだろうか?

なぜこんな情がはらの底に渦を巻いているのだろう。──男児として生まれていればよかったのか、男性に成れればよいのだろうか。それとも、女性の枠が鬱陶しいだけなのか? それとも、希少な悩みという贅沢をしていたいだけなのか?

──………

床と、鏡が、かすんでいくように見えた。

(((──ハルカ………)))

声が聞こえる。

──誰?

(((ナガハラ・ハルカ………)))

──はっ。

目を開くと、ハルカは白い布団の上にいた。左手のうちには、勾玉…、しかし、その色はくすんで輝きがない。

「──マスカがいない…」

起き上がってみると、そこは弓ヶ丘高校の保健室だった。

「ナガハラ・ハルカさん」

「あ…、ヤマブチ先生?」

ヤマブチ・トモミ先生がそこにいた。外からはくすんだ赤い陽が射し込んでいる。

「あなたは、マスカとともにタイポンのつくりだした暗黒空間に引き込まれるところだったのよ」

「ヤマブチ先生…、どうして」

「我々の問題にこれ以上あなたを巻き込むわけにはいきません。だから…」

ヤマブチ・トモミ先生の輪郭が赤い光の中へ崩れていく。

養護教諭ヤマブチ・トモミとは地球人の目を欺く仮の姿…」

その輪郭がふたたび明瞭な形になってくる。

「あっ…」

その姿は、手足のないすらりと長い胴に、扁平な頭部、切れ長の眼と口、その後頭部には杉の木のような二本の角が生え、頸には苔が伸びたようなたてがみを持っている。

(((──私は、銀河系の情勢を報告するために宇宙大社から遣わされた伝奏官、名はヤトといいます)))

「じゃあ、マスカの仲間…」

(((そうです。──もっとも、私はおよそ千八百年前から地球にいますが)))

「……マスカは? どうなった」

(((──マスカは、今タイポンの暗黒空間の中をさまよっているはずです…。今から、私がマスカを助けて、ポイロット星人とタイポンを倒し、邪神デビューボをアンドロ比良坂に連れて帰ります。──もう地球の方に迷惑をかけることはありません。あなたは、家に帰っていてください)))

そう言い残して、保健室から出て行こうとするヤト。

「………いや、待って!」

呼び止めるハルカ。

「マスカは…、ナガハラ・ハルカが助けに行く」

(((……なぜです。──マスカを助けても、あなたには何も得るものなどないはずだ)))

「そんなことは、どうだっていいんだ」

ヤトは目を見開いてハルカを見つめる。

「一度助けを求められて、それに応じたからには、途中で見放しちゃぁ、義理が悪い、人情に差し支えるってもんだろ」

(((──……よろしい、では…)))

ヤトは窓際に立てかけてある丸い鏡を眼で指した。

(((そこにある、クマシロの鏡を、持って行きなさい──)))

モモタ・ヒカルはタウエ老人に呼び出された用事が済んで、四方津神社の社務所をあとにした。

空が奇妙に赤く、よどんでいる。

(………大気と太陽の状態によっては、こんなふうになることもあるのかなぁ………)

鳥居をくぐって、階段にさしかかる。

(………今何時くらいだろう)

時計の類は一切持ち合わせていなかった。

(………───)

四方津神社の階段は長い。

(───………、あ…)

ヒカルが階段を下りきったとき、そこへハルカが走ってきた。

「あ…、ナガハラさん」

「──モモタ?」

はたと立ち止まるハルカ。脇には、「クマシロの鏡」を入れた鞄を抱えている。

「あ…、あのー…、」

ヒカルとはギョヘテの一件以来あまり会話がない。

「……前から訊きたかったことがあるんだけど」

マスカのことだろうか。──だが今なら隠すことなどない。

「なに?」

「ナガハラさんって…、ほんとは、おとこのこなの?」

空の赤さがヒカルの顔を照らす。ハルカは精神を見通そうとする視線を感じた。

「そう、そうか」

視線を返すハルカ。

「そうだね、そうかもしれない。だけど」

今ここで、いま言えるだけのこと。

「自分の中に何があるのか、自分のまわりに何があるのか…、これからどう変わっていくのか……、まだわからないことがたくさんある。だから、まだわからないままにしておきたいんだ」

「そう…、うん、突然こんなこと訊いちゃってゴメンね。……ナガハラさんの気持ち聞けてよかったよ。」

「うん」

「じゃぁ、ナガハラさん急いでるみたいだから、また、明日」

「ああ、また」

鞄を抱え直して、走り出すハルカ。──両親にも、同じように言えるのかな……、と思いながら。


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ハルカは、四方津神社の森の中、あの日マスカと出会った場所、ミシャグジ池にたどり着いた。

ハルカは、ヤトに言われたように、クマシロの鏡を高く掲げて、ミシャグジ池に向けた。クマシロの鏡は、日中の太陽のような白い光を発して、ミシャグジ池の水面を照らした。黄緑色に輝くミシャグジ池。──やがて、その水面が突き上がって、巨大な生命体が姿を現した。

「──マスカ!」

(((──ハルカ…、きみが助けてくれたのか)))

「ヤトさんのおかげだよ」

(((ヤトが──、そうか)))

「マスカ、一緒に行こう。まだ間に合う」

勾玉をかざすハルカ。

(((ハルカ……、よし、行こう──)))

マスカは幽体になってハルカの体の中へ入った。勾玉に光が戻った。ハルカは、今度は弓ヶ丘森林公園に向かって走り出した。

「ハルカさん、戻らないんですか」

ゼンジとナミコは、ハルカの行方を追って、教員住宅のドヒ・ミツキ先生を訪ねていた。

「じゃ、私、学校の方を探してみます」

「お願いします」

サンダルを突っかけて駆け出そうとするドヒ・ミツキ先生。と、そこへ。

「その必要はないわ」

ヤマブチ・トモミ先生が忽然と現れた。

「あ、ヤマブチ先生! 何か知ってるんですか」

黙って通りの方を見るように促すヤマブチ先生。…四方津神社の方角から、森林公園めがけて、走り抜けようとする一人の影。

「──ハルカ」

呼び止めつつも駈け寄るナミコ。

「どこに行くんだ」

後に続くゼンジ。

「母さん…、──父さん」

詳しく説明している暇はない。

「実は──」

ヒカル勾玉を取り出すハルカ。左手に載せてナミコとゼンジに見せるようにし、それから、ぐっと握りしめて胸の前に引き寄せた。

わけもわからずハルカを見つめるナミコとゼンジ。

──ハルカ胸の裡に、口に附かない言葉がこみ上げてくる。………いや、今はそのことではない。マスカのことを明かせばいいのだ。──深い思いを断ち切って、勾玉を頭上に掲げるハルカ。

ハルカの体の中から幽体のマスカが飛び出し、ハルカを包み込んで、実体化していき、身長数十メートルの巨人、ウルトラマスカがナミコとゼンジの眼前に立ち上がった。

「──ハ…、ハルカが………」

茫然として後ずさりするゼンジ。

「ハルカ!」

マスカは、足下の二人に何か言葉をかけるように目を巡らせると、キッと彼方へ向き直して、颯爽と飛び上がった。

「こ、こんなことが……、そ、そうか」

目の前で起こっていることが信じられないゼンジ。

「あなた」

「これは夢なんだ。そうだろう?」

「ゼンジ!」

ゼンジの頬をぴしゃりとはたくナミコ。

「戦わなきゃ現実と!」

弓ヶ丘森林公園。ポイロット星人はマスカがデビューボを封じた"ことなぐし"の酒樽に圧縮袋をかぶせ、円盤に装備された装置でこれを圧縮しようとしていた。

《《──ボス、だめデス。いくらやってもこの酒樽は圧縮できません》》

《《エーイ、なんたることだ。ポイロット製の酒樽圧縮袋が通用しないとは!》》

ポイロット星人の円盤は酒樽の上空をくるくる回る。

《《何をしているのだ。早くポイロット星に戻って、約束の報酬を受け取らせてもらおうぞ》》

下から突き上げるタイポン。

《《……仕方ない、なんとかこのまま牽引していくとするか──》》

《《牽引光線を発射します。──しかしボス、星までエネルギーが持つかどうか…》》

《《補給船を呼んで途中で落ち合うサ》》

酒樽の上に静止して、牽引光線を準備するポイロット星人の円盤。

(((──待てッ)))

《《ナニッ》》

《《アッー》》

ウルトラマスカだ!

《《マスカ! キサマはたしかに暗黒空間へ閉じ込めたはず》》

驚くタイポン。

(((デビューボをアンドロ比良坂に鎮めるまであきらめはしないぞ)))

《《タイポンめ! なんたる手抜かりだ。これでは報酬など払えん》》

《《えぇい、今度こそ息の根止めてくれようぞ!》》

さあ、決戦だ!

マスカにつかみかかるタイポン。マスカの右腕をとって、巻き投げで地面にたたきつける。タイポン、そのままマスカを押さえつけにかかる。くるりとかわすマスカ。両者立ち直ったところで、マスカは手刀、逆水平チョップで反撃! 飛び退くタイポン。

《《──暗黒物質をくらえ》》

手先から暗黒物質を噴き出すタイポン。マスカはポイロット星人の銃弾も跳ね返したリバウンド注連縄を取り出して対抗! 注連縄にはじかれ、飛散する暗黒物質

マスカはカシワデ光線の構えをタイポンに向けた。

《《バカめ、そんな攻撃は効かないことを忘れたか》》

暗黒物質を噴出し、暗黒の盾を造り出すタイポン。──だが、マスカの構えはカシワデ光線ではなかった。マスカは合掌したまま全身の神通力を左手の先に集め、弓を引くような構えに体勢を変えると、指先から高密度に収束された矢のような光線を発射した。「ハマヤ・アタック」である!

(((受けてみろ、タイポン!)))

ハマヤ・アタック光線は暗黒の盾をつらぬき、タイポンの胸に突き立った。

《《グワッ──》》

タイポンの体の中を流れる暗黒物質がハマヤ・アタックの神通力と過剰反応を起こし、タイポンの体は全体性を消失して宇宙空間へと散逸していく。──タイポンは消えた。

《《ボス! タイポンがやられた》》

空飛ぶ円盤上のポイロット星人。

《《うろたえるな! 灰色粒子砲に全エネルギーを装填しろ》》

《《ボス、ボス! 故郷に帰れなくなります》》

《《黙れ! マスカさえ倒せば、あとは迎えを待てばよいのだ》》

マスカを狙うポイロット星人の円盤。だが、マスカに油断はない。マスカは右手に神通力を集め、光の円環を出現させた。「ゼニガタ光輪」だ! 一発必中のゼニガタ光輪がポイロット星人の円盤をとらえる。

《《ウワッ──》》

《《アッ──》》

吹き飛ぶポイロット星人の円盤。──マスカの勝利だ。

──弓ヶ丘の空に暗闇が戻った。いつもの夜空──、いつもの星。それに、明日からは、いつもの毎日が戻ってくるのだ。

マスカは邪神デビューボを封印した樽を持って、宇宙大社へと帰って行った。ほどなく以前のようにデビューボはアンドロ比良坂の窟に鎮座し、その岩戸には注連縄が張られ、祭祀が行われるようになるのだろう。

いま、ハルカの掌の上には、マスカが残していった勾玉がある。ここにはもうマスカはいない。だけど、勾玉の中には、マスカが注入した神通力が輝きを放っている。マスカはたしかにここにいたのだ。

ヤトが言ったように、ハルカがマスカから得た具体的なものはこの勾玉たった一つだけだ。でも、この経験から得たもっと大事なものは、目には見えないけれど、これからの人生の中できっと自分を支えてくれると、ハルカは思うのだった。

──今日はもう寝よう。明日のために。

……

………そう──

それから──

最初にデビューボの祟りを受けた三人の石像は、その後、石神の御神跡として四方津神社に奉納され、多くの参詣人を集めることとなった。拝殿の前に投じられる賽銭も増え、前代過事本紀や、ヒカルの図面をもとにつくられた「石神フィギュアシリーズ」もよく売れ、タウエ老人は百二十歳を越えるまでツヤツヤピンピンしていたという。

………

おーい おれたちは どーなるの よーい………

よーい………

ょーぃ………

ーぃ………

………………

…ウルトラマスカ 完