第三話『謎の探偵事務所』

「いいじゃないか。なぜいつもそうしないんだ」

と言ったのは、ハルカの父のナガハラ・ゼンジである。それに対してハルカは、むっとして黙っているだけだ。

──これでも似合わないつもりなんだ。

とは、なかなか言えない。そこから先のやりとりを想像すると、暗澹とした気分になってしまう。

「フレンチトースト焼けたよ〜」

母ナガハラ・ナミコは、父と違ってハルカに月並みな期待をかけない。母が間に入ってくれるのがハルカにとって救いになっている。

朝日はいつものように弓ヶ丘の住宅街を包んでいるけれど、ハルカだけはいつもと違うセーラー服で、学校へ向かう。

「…と、いうわけで、十九世紀に石造りの立派なアーチ橋がいくつも作られたのは、藤原林七が国禁を犯してもオランダ人と接触して手に入れた円周率があったからなのです。みなさんも、円周率を3.14159265…くらいまでは、暗記はしないまでも手帳にでもつけていつでも参照できるようにしておけばいいと先生は思います…」

タニガワ校長が視察に訪れた四時間目は、ドヒ・ミツキ先生の数学史の授業だった。タニガワ校長は、教室の後ろのすみで静かに授業風景を眺めていただけで、特に何か言うこともなかった。居たのかどうかもわからなかったくらいである。というのは、校長が教室に居ることよりも、ハルカが制服を着ていることの方が、生徒たちの意識を引いたからかもしれない。

「レアものだぁ〜。写真に撮っておこう」

タウエ・アキは、日本では電話として使えないのに個人輸入してなぜか肌身離さず持ち歩いている Treo 700p の内蔵カメラで、いつもと違うハルカを撮影しようとした。

「撮るなよ…」

悪気がないのはわかっているので、ことさらに怒ったりはしないが、いやなので仕返しはする。ハルカは鼻の脂を人差し指につけて、Treo に目つぶしを喰らわせた。

「ぬうぁああぁ、レンズに指紋がぁ!」

その場にしゃがみ込んで、スカートの裾でレンズを拭くタウエ・アキ。

「とれお〜、しっかりするんだ…」

ちょっとレンズを汚しただけで大げさな…と思いつつハルカはその場をあとにした。

ハルカは下校を待たず昼休みにはいつものジャージに着替えてしまうことにした。場所は、ドヒ・ミツキ先生が顧問をしている放送部の部室の奥の物置部屋を借りる。すっかりいつもの格好に戻って、部室を出ると、ドヒ・ミツキ先生が待っていた。

「お疲れさんです〜。今日はありがとう」

「別に…礼を言われるようなことしてないし」

「無理言ってゴメンな。こんど、先生の部屋に遊びに来たら、チャーハン作るよ!」

「…先生は、もう少し威厳を持ってくださいよ」

「はっはっはっ…、じゃ、またあとで」

「あれぇ、…もう着替えちゃったの」

廊下で出くわして、こう言ったのはモモタ・ヒカルだ。

「なんだよー」

「いや…、えぇと、せっかくセーラー服が着られるのにもったいないと思って…」

「むー…、じゃあ、モモタはセーラー服を選ぶ権利があったら着るのかよ」

「………」

「………な、なんで黙るんだよー。もういいや、そろそろ教室に戻らなきゃ…」

そして、その日、あとから振り返ってみてタニガワ校長の存在感をさらに薄めたのは、ホームルームの時間にドヒ・ミツキ先生から話のあった「不審者情報」の印象が強かったからだ。

「えぇ、最近、弓ヶ丘近辺で不審者を目撃したという情報があります。不審者は、灰色のスーツを着た、小太りの中年らしいです」

ただの不審者情報なら、今どき珍しい感じはしない。しかし、この話はひと味違った。

「灰色のシャツに、灰色のスーツを着て、顔も灰色の不審者が、拳銃のようなものを持って何かを探していたという目撃談もあるようです」

ときたから、血気盛んな学生連中が黙って聞いているわけがない。騒然とする教室。

「……はい、静かに!」

反応が一巡するのを待って場を収めるミツキ先生。

「と、いうわけで〜、みんなあやしい人を見かけたら、危ないので絶対に自分で追いかけたり、捕まえようとしないで、必ず警察に届けてねー」

今日も今日とて帰宅部の三人である。

…ハルカたちが住むこの町は、大まかには、丘陵の弓ヶ丘地区と、谷地の伊賦谷地区に分れている。一般に、日本では伝統的に谷に人口が集まり、丘には人が少なかった。丘には、幕末以後、外国人の邸宅が建てられたり、新興住宅地として開発されたりしたため、丘の上は新しくて、きれいで、いいところという印象ができた。ハルカが住む弓ヶ丘地区も、そうした割と新しい住宅街であり、もとは四方津神社の神域の森の縁辺の里山であり、人里である伊賦谷地区との間にあって、神と人との不意の接触を断つ緩衝地帯だった。

そんな弓ヶ丘の住宅街も開発が始まってからすでに数十年の時が経っている。その中をなんとなく一緒になって、まっすぐ帰宅するような、しないような三人。

「でー、ハルちゃんはどう思う?」

右手に Treo 700p、左手に WX310K を持ってなにやら操作しながら、アキが訊く。

「ん…、なにが?」

「灰色の怪人のことでぃすよ」

「別に、なにも考えてないけど」

「学術調査隊の失踪事件と何か関係があるのかなぁ…」

ヒカルも会話に加わる。

「ソレダ!!」

とアキ。

「どれなんだよ」

「つまり、伊賦谷駅前にある、古い探偵事務所が、あやしいと思うんだよねー」

「あそこって営業してる様子がないじゃん…」

ハルカのつっこみも気にとめず、道をおれて坂を下っていくアキ。その先に伊賦谷駅がある。


デビューボより祟るのはデビューボだけ!

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伊賦谷駅前商店街の一角に、かすれた文字で窓に「探偵事務所」と印字された古びた建物がある。もう、だいぶ前から、使われている様子がないが、それほど朽ちているわけでもなく、また、空いているからといって新しい入居者を募集する張り紙もないのは、怪しいといわれれば怪しい感じもする。そして、閉ざされた入り口の前には、いったいなぜだろうか、黄色いアイリスを挿した空き缶が一つ、ぽつんと置かれている。

「…ここではってれば灰色の怪人が…」

電柱の影で謎の探偵事務所を見張るアキ。果たして、灰色の怪人は現れるのだろうか。

一方そのころ、アキにつきあいきれないハルカも、別の用事のために伊賦谷地区にきていた。

「…別に付いてこなくてもいいよ」

「うん、あのー…」

なんとなくついてきたヒカル。

「…さっきは、ごめん」

「んー? 何かあったっけ」

とぼけ半分、それにすぎたことは根に持たないのもハルカの正直な性格だ。

「えぇと…、じゃあ、また明日」

「おう、また明日」

ヒカルと別れたハルカは、伊賦谷の市街地を抜けた。この町には、弓ヶ丘と伊賦谷の街区を挟んで四方津神社の反対側に、もう一つの神社、大伽牟津見神社がある。そのあたりに邪神デビューボが逃げ込んだかもしれないと、マスカの示唆である。

ハルカは、大伽牟津見神社の鳥居をくぐって、拝殿の前に進んだ。境内は、ひっそりと静まりかえって、人の気配もない。周囲は、林に囲まれている。

「………」

辺りを見回すハルカ。そこへ、右の狛犬の陰から、突如として躍り出た者がある。

「ファッファッファッ…、待っていたぞ。ナガハラ・ハルカ、いや、マスカよ」

その姿は、灰色の装束に身を包んだ怪人…、しかし、その着衣は見たこともない素材である。その顔は、丸い電灯を埋め込んだような眼、高質化した口髭と一体化したような鼻、異質な皮膚。そして、その両手には、拳銃のようなもの、いや、それは拳銃を持っているのではなく、拳銃のような形状に伸びた親指だ。

「誰だ」

《《私は、ポイロット星人だ》》

「だから誰だ」

《《私はポイロット帝国の一兵士…、名乗る名はない》》

「人に対して失礼だろ…、まあいいや、用があるなら聞こう」

《《まず言っておくが、邪神デビューボをアンドロ比良坂から出したのは我々だ》》

「なんのために」

《《…我がポイロット星は、強大な勢力を持つシーラメ星に隣接し、常にその悪辣な圧力を受けているのだ》》

遠い目で故郷に思いをはせるポイロット星人。

《《そこで、国力を振興し、シーラメ星の干渉を斥けるために、デビューボ神社を誘致したいということになり、アンドロ比良坂に出向いて岩戸に張られた注連縄を切った。そしてデビューボをポイロット星に呼び寄せる途中で、この地球に降りてしまったというわけだ》》

「それで?」

《《それで、我々のデビューボ招致をこのまま黙って見逃してもらいたいのだがネ》》

ハルカは例の勾玉を取り出す。勾玉はマスカの意識の仮の姿だ。勾玉が光を発する。

(((──ポイロット星人よ、デビューボを甘く見てはいけない…。デビューボは祭祀の方法を誤ると大変な祟りを起こします)))

《《我々は立派な神社を建てて手厚く祭祀するつもりだ》》

(((よく聞きなさい──、神の祟りには差別も際限もないのです。…神の怒りにふれたものだけが、罰として祟りを受けるのならばよいが、そうではなく、神はただ祟りを起こすものなのです。往々にして、祟りを引き起こしたものは無事で、弱いものが犠牲になります…。──だから、祭祀には大変な責任があるということを、わかっているのですか)))

ポイロット星人は、マスカの話を聞くようなふりをしていたが、もう待ちきれないという様子で、こう言い放った。

《《えぇい、もう話にならん、あくまで我々の行く手をさえぎるというなら、この場で死んでもらうまでだ!》》

ポイロット星人は、突然巨大化した! いや、いままでの格好が仮の姿で、これが本来の身長なのだ。

《《さぁ、マスカよ、姿を現せ、勝負をつけよう》》

マスカは、地球上では長時間活動できないため、幽体という状態に変化して、ハルカの体の中に隠れている。そして、必要になれば、逆にハルカを自らの肉体の中に保護し、その数十メートルの身の丈を現すのだ。

大伽牟津見神社を挟んで対峙する、二人の巨人。

《《くらえこの!》》

肥大化した両手の親指の先から、弾丸を発射するポイロット星人。危ない! だがマスカはひらりと攻撃をかわすと、敵が次の弾丸を装填する隙に、うなじに手を回して頭髪を二本引き抜いた。それから、両手でその髪の毛をつまんで、よりあわせながら左右に引っ張ると、それはたちまち注連縄に変化した。「リバウンド注連縄」である。

《《こんどこそくらえ》》

再び発射される、ポイロット星人の凶弾! しかし、マスカがリバウンド注連縄を掲げると、弾丸は見えない壁に跳ね返され、マスカに届くことはない。

うろたえるポイロット星人。マスカはその隙を見逃さず、すかさずカシワデ光線を浴びせかける。カシワデ光線はポイロット星人の心臓がありそうなあたりに命中した。

《《アッー》》

ポイロット星人は膝から崩れ落ちる。

《《くぅ…、なかなかやるな、だが、ポイロット帝国の力はこんなものではないぞ…。…私が斃れたと知れば、さらなる刺客が、送り込まれるだろう………》》

ポイロット星人は消え去った。マスカもハルカの中へと戻る。

「…おーい」

そこへやってきたのは、モモタ・ヒカルだ。

「あれっ、帰ったんじゃ」

「きのうの巨人が居るように見えたから…。この辺に居たでしょう?」

「う、うん、そうだね…、街から見えた?」

「見えたよ、あんなに大きいのに、どこに消えたんだろう」

「さ、さぁ…」

別に隠さなければならないと言われたわけではないが、なんとなく言い出せないハルカである。日は西の山に沈もうとしていた。

一方、タウエ・アキは、暗くなるまで謎の探偵事務所を見張っていた。

「………誰も来ない………」

黄色いアイリスも心なしかしおれたようだ。謎の探偵事務所は、いつまでも謎のままであった。


ポイロット星人の、さらなる刺客とは? 次回、ウルトラマスカ第四話『大火災五秒前(仮)』火焔土獣ギョヘテ登場(予定)。乞うご期待!